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喪失感(一)

2003/5/17

 あの頃の四年間、毎日欠かさず日記を付けられたのは、偏にその動機が喪失感に対する恐怖だったことによる。寝る前に毎日思っていた。 今日は何をした? と。昨日は? 一週間前は? 何を考えたのか、何を思い何に怒り何に笑ったのか、今日のことはまだしも、昨日のこととなると随分と曖昧になり、一週間前のこととなるとまるで思い出せなかった。 思い出せないならそれは無かったのと同じこと、誰かにそう囁やかれた訳でもないのに、私はそう確信していた。そして恐怖した。確かに生きたはずなのに、生きた証拠を思い出せない。死ぬ間際、私は思うのではないだろうか。 「私はどのように生きてきたのだろう」と。無為に過ごしたのではないかという恐怖、それは日記を付けることに向かい、だから苦痛でもなんでもなく、毎日30分の時間を費やせた。
 いつしか、日記を付けることを止めている。昨日のこと、一週間前のことは今も思い出せないが、それに対する恐怖は無い。鈍くなってしまったのか、諦めたのかはわからない。
 しかし、日記を書いていた頃と書いていない現在を比べてみると、どうしたって日記を付けていたあの頃の方が素晴らしく生きていたように思える。日記を付けていない現在の生活は、劣っているのではないか、と。 それは恐怖だ。恐怖の捌け口として書いた日記が再び私に恐怖を教えている。結局のところ、私は逃げられなかった。それは、今も。